昭和東
南海地震

北谷墓地

 中島飛行機は、昭和19(1944)年昭和東南海地震により、作業中に一命を失われた従業員、応徴士、女子挺身隊、動員学徒などの霊を慰めるため、「震災殉難者之塔」(木製の柱)を建立しました。その後、昭和20(1945)年7月の空襲で犠牲になった方々が合祀されました。その後、最終的に輸送機工業株式会社へと引き継がれ、現在は、昭和55(1980)年に建てられた「殉職者諸精霊之碑」が残されています。

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